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執筆者の写真Mikako Hayashi-Husel

【書籍紹介】大野和基編著『マルクス・ガブリエル つながり過ぎた世界の先に』

マルクス・ガブリエルが今マイブームです。

先日は丸山俊一著『マルクス・ガブリエル 新時代に生きる「道徳哲学」』をこのブログで紹介しましたが、今回は大野和基編著『マルクス・ガブリエル つながり過ぎた世界の先に』について語りたいと思います。

本書でガブリエルは、「つながり」にまつわる三つの問題──「人とウイルスのつながり」「国と国のつながり」「個人間のつながり」について自らの見通しを示し、そのうえで倫理資本主義の未来を予見します。

第I章 人とウイルスのつながり

第II章 国と国のつながり

第III章 他者とのつながり

第IV章 新たな経済活動のつながり――倫理資本主義の未来

第V章 個人の生のあり方

章は5つに分かれ、「個人間のつながり」が3章と4章にわたって論じられた後に、最終章で「では、個人としてどうあるべきか・どう生きるべきか」という問いに対して指針を示します。

本書は大野和基氏がマルクス・ガブリエル氏にインタビューした対話を基に構成されているため、日本や日本人に対する言及や考察も多く、ガブリエル氏本人の著書よりも日本人読者になじみやすい内容です。

当然ですがドイツ語の原著は存在しません。

本書の中で引用されているガブリエル本人の著書は『Moralischer Fortschritt in dunklen Zeiten 暗い時代での倫理的進歩』と『Der Sinn des Denkens 思考の意義』(英題「The Meaning of the Thought」として言及)あたりでしょうか。どちらも未邦訳ですが、内容的には本書と重複するところもあるかと思います。


興味深いのは、任天堂のゲームの躍進をもって「日本の持つソフトパワー」と見ていることでしょうか。

コロナ政策に関してはドイツの打った手も日本の打った手も悪くはなかったと見ていることが意外かもしれません。ガブリエルはウイルス学者が政策に多大な影響を与える「Virocracy (独 Virokratie)」を断罪し、政治的判断はあくまでも政治家の手に委ねるべきであるとした上で、厳格なロックダウン措置は非倫理的であると批判しています。だから比較的緩やかな措置しかとらなかった日独の対応を「悪くなかった」と評しているわけです。

インタビューが行われたのは昨年の8月でしたので、その後に講じられたドイツの厳しいロックダウン措置や現在のデルタ変異株による感染拡大を鑑みてどう考え方が変わったのかぜひ知りたいところです。


「国と国のつながり」の章では、トルコのエルドアン大統領が独裁化したのはEUがトルコをさっさと加盟させなかったせいだと断じており、そのような過ちを再び犯さないためには中国とより密な対話をするべきだと提唱しています。「人権問題がある」とかその他の価値観の違いはあるにせよ、その違いにこだわって一方的に責めるだけでは中国を攻撃的にさせてしまうだけなので、違いを尊重した上で対話を重ね、同じ人類として共に倫理的な行動(環境保護や持続可能な経済活動など)を取るための協力を目指すべきだという意見には同意しかできません。

しかし一方で、日本は「軍隊を持つ」という意味での「普通の国」になるべきだと主張しているところがまた興味深いです。日本は(残念ながら)北朝鮮や中国といったあわよくば日本を破壊しようとする国と隣り合わせになっているので、侵略戦争を自ら行わないのは当然としてもアメリカの保護から自立して自国の防衛のために十分な軍隊を持つべきだと言うんですね。私の知る限りでは日本の軍事力は米中には及ばないにせよ世界でも有数の規模のはずなので、「自衛隊」という欺瞞を止めて、しっかりとした倫理に基づく(?)軍隊とすべきだということなのかと思います。

その上で対話をせよと。これはつまり軍事的にも(それなりに)対等な立場に立った上で対話をするということだと私は解釈しました。そこが対等でないと一方に侮りが生じ、他方に無用な萎縮・恐怖が生じるために対等で建設的な対話がより困難になる可能性を示唆しているようにも思えます。

日本では憲法9条と自衛隊のあり方についての議論が、他国に対する対抗心・敵対心から軍備増強を唱える強硬派と「平和憲法」を崇拝するあまり自衛隊の現状把握も諸外国の事情も把握せずにとにかく「平和」だけを唱える陣営との間の永遠に勝負のつかない感情的な塹壕戦になっているような印象があります。そこに投じられるガブリエルの「対話しなさい」と「自立した軍隊を持ちなさい」はある意味で、強硬派とそれに対するアンチテーゼとしての平和派の対立をアウフヘーベン(止揚)するシンテーゼとも言えるのかもしれません。


そして個人としてどういう世界にありたいのか。

自分が何らかの製品を買う時、世界のどこかで劣悪な環境で働き搾取されている人たちの犠牲の結果を享受している現実をまず認識したら、「それでよし」と思う人は少数派のはずだと考えるガブリエルは少なくとも性悪説ではないのですね。だからこそ対話による倫理的進歩を唱えられるのでしょうけど。資本主義自体が悪なのではない。倫理がないことが悪なのだ。だから倫理に基づいた資本主義社会を築いていくべきだ。それには1人1人の消費行動も変える必要がある。そう提唱するガブリエルは実際に様々な具体的なプロジェクトに関わっている実践的哲学者です。その実践的であるところも彼の魅力の1つですが、それ以上に彼が自分の考えが「正しいこともあれば間違っていることもある」と思っている謙虚さが特に魅力的だと私は思っています。彼が求めているのは「信奉者」ではなく、対話して共に考えていく対等なパートナーなのです。

意見は違っていていいし、違っているのが当たり前という前提の下、冷静に敬意をもって互いの論拠を提示し合い、よりよい考え方を見つけて行くのが理想で、そこに「あなたのような人たちはいつも…」的なステレオタイプによる人格否定・人格攻撃を差し挟んではいけない。そのような大人のディベートができる日本人は少数派でしょうし、違っていることを恐れる傾向の強い日本人の築き上げてきた和の文化には馴染まないように見えますが、ネットの炎上などを見ると「和の文化」はとっくに消滅しており、ただただ感情的に敵味方に分かれて互いに口汚く人格攻撃をしている非常にレベルの低い争いしかしていないような印象を受けます。

そのような争いの蔓延る世界に生きたいとは本当は誰も思っていないと思うのですが、どうでしょうか。


マルクス・ガブリエルは倫理・道徳哲学と新実存主義・新ドイツ観念論からアプローチしていますが、ご本人が認める通り仏教、特に禅との親和性も高い思想です。

ガブリエルの唱える冷静な倫理的対話の準備運動としてみんながヴィパッサナ瞑想やマインドフルネス瞑想などを実践したら、対話もさぞ思いやりある平和なものになるだろうと思います。

すいません。一人で熱く語り過ぎましたね(笑)








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