シューベルト作曲の『菩提樹』はあまりにも有名ですが、よく知らないという方はまずこの動画をご覧ください。
バリトン歌手 Timotheus Maas、ピアニスト Lémuel Grave によるDer Lindenbaumの演奏ビデオ
Timotheus Maas氏はその細い体形にもかかわらず柔らかで力強い声ですね。ピアノとの相性もいいと感じました。
日本でも有名なバリトン歌手と言えば、Dietrich Fischer-Dieskau氏でしょうけど、すでに亡くなった方ではなく、若い世代の動画をあえて探してみました。
『菩提樹』は1823/24に発表された Wilhelm Müller ヴィルヘルム・ミュラーの12の詩から成る詩集『Winterreise 冬の旅』の中の5番目の詩です。シューベルトはこれらすべての詩に曲を付けました。
近藤朔風の訳詩がよく知られていますが、ほかにも様々な訳詩があるので、ここでは特に文法的解説をしたいと思います。
以下は原詩です。4行連形式(Vierzeiler)で、各スタンザ(Strophe)の2行目と4行目が脚韻を踏む、ミュラーの時代に一般的だった形式です。
Der Lindenbaum
Am Brunnen vor dem Tore
Da steht ein Lindenbaum
Ich träumt' in seinem Schatten
So manchen süßen Traum
Ich schnitt in seine Rinde
So manches liebe Wort
Es zog in Freud und Leide
Zu ihm mich immer fort
Ich musst' auch heute wandern
Vorbei in tiefer Nacht
Da hab ich noch im Dunkel
Die Augen zugemacht
Und seine Zweige rauschten
Als riefen sie mir zu:
Komm her zu mir, Geselle
Hier find'st du deine Ruh
Die kalten Winde bliesen Mir grad ins Angesicht Der Hut flog mir vom Kopfe Ich wendete mich nicht
Nun bin ich manche Stunde
Entfernt von jenem Ort
Und immer hör ich's rauschen
Du fändest Ruhe dort
Nun bin ich manche Stunde Entfernt von jenem Ort Und immer hör ich's rauschen Du fändest Ruhe dort Du fändest Ruhe dort
【解説】
Am Brunnen vor dem Tore 城門前の井戸に
am は前置詞 an と定冠詞男性単数3格 dem の融合形で場所を表します。
der Brunnen 井戸。泉や噴水を意味することもありますが、城門の前にあるのはたいてい井戸ですので、訳語としては「井戸」が正しいと思います。ドイツ語文学においてはBrunnenは生命の源、人の集まる場所(日本語で言うところの「井戸端」)の象徴であり、また愛・求婚・婚姻の象徴である一方、底が見えないという観点から精神の隠された創造的かつ破壊的な層を象徴することもあります。
vor ~の前
dem Tore das Tor 門、城門の単数3格。-eは古風な語尾。Thoreと以前は表記されていました。
Da steht ein Lindenbaum そこには1本の菩提樹が立っている
da そこに、そこで、そのとき
steht stehen の3人称単数現在形。
ein 不定冠詞、男性単数1格。
der Lindenbaum 菩提樹。Lindenbaum はドイツ語文学においては愛の木、恋人たちの逢引き場所を象徴します。その他、母性や豊穣、守護や調和または踊りや祭りも表します。Brunnen と Lindenbaum はドイツ語文学において切っても切り離せないコンビネーション。
菩提樹のイメージを表した絵葉書。背景に水が出っぱなしの地味な噴水が描かれています。
Ich träumt' in seinem Schatten So manchen süßen Traum
その木陰で私はあれこれと甘い夢を見た
ich 人称代名詞1人称単数1格「私は」。
träumt' = träumte träumen 「夢見る」の1人称単数過去形。
in ~の中で
seinem 所有代名詞 sein 「彼の、その」の男性単数3格。先述のLindenbaumを受けています。
der Schatten 陰
so manchen 不定冠詞 so manch 「あれこれの、いくつかの」の男性単数4格。後続のTraumにかかります。
süßen 形容詞 süß 「甘い」の男性単数4格。後続のTraumにかかります。
der Traum 夢
Ich schnitt in seine Rinde So manches liebe Wort
私はその樹皮にあれこれの愛の言葉を刻んだ
schnitt schneiden「切る、刻む」の3人称単数過去形。
seine 所有冠詞 sein 「かれの、その」の女性単数4格。
die Rinde 樹皮
so manches 不定形容詞 so manch 「あれこれの、いくつかの」の中性単数4格。後続の Wort にかかります。
liebe lieb「愛の、愛らしい、親切な」の中性単数4格、弱変化形。
das Wort 言葉
Es zog in Freud und Leide Zu ihm mich immer fort 幸せな時も苦しい時もいつも私はその木に引き寄せられた
es 中性単数の代名詞ですが、ここでは特定の記述の名詞を受けているわけではなく非人称構文の形式的な主語。
zog...fort 分離動詞 fortziehen「引っ張っていく、どける」 の3人称単数過去形。木を起点に考えると、起点から離れてどこか遠くへを意味する fort とは矛盾が生じるので、「私」が本来あるべき場所を起点としてそこから離れてその木の方へ引っ張るニュアンスが込められていると考えられます。もっとも、ただ Wort と脚韻を踏むためだけに fort を持ってきただけで、深い意味がない可能性もなくはないですが。 非人称構文であるため、受動態で訳すのが一番自然ですが、木を主語にして「その木は私を引き寄せた」でも間違いではないと思います。
in Freud und Leide「幸せな時も苦しい時も」は通常 in Freud und Leid の形の慣用句ですが、2行目のRindeと脚韻を踏むために古風な単数3格の語尾 -e が付け加えられています。
zu ~へ
ihm 人称代名詞 er の3格。der Lindenbaum を指しています。
mich 人称代名詞 ich の4格。
immer いつも
Ich musst' auch heute wandern 私は今日もさまよわずにはいられなかった
musst' = musste müssen 「しなければならない、する必要がある、せずにはいられない」の1人称単数過去形。
auch ~も
heute 今日
wandern 「歩く、さすらう、さまよう」の不定詞。wandern は19世紀のドイツロマン主義において重要なトピックです。
Vorbei in tiefer Nacht 夜中に(菩提樹のそばを)通り過ぎて
vorbei 副詞「通り過ぎて」。 vorbei am Lindenbaum (菩提樹のそばを通り過ぎて)の am Lindenbaum が省略されていると解釈するのが自然かと思います。
tiefer tief「深い」の女性単数3格。
die Nacht 夜
in tiefer Nacht 言葉通りには「深い夜に」ですが、「夜更け、夜中」を指しています。
Da hab' ich noch im Dunkel Die Augen zugemacht そこで(そのとき)私は暗闇の中だというのにさらに目を閉じた
hab' = habe 現在完了形の助動詞 haben の1人称単数現在形。
noch まだ、なお
im = in dem ~の中に(で)
das Dunkel 暗闇
die Augen das Auge 「目」の複数4格。
zugemacht zumachen「閉じる」の過去分詞。ずっと過去形で語られてきたのにここでいきなり現在完了形になるのはいささか違和感があります。2行目にある Nacht と脚韻を踏むために zugemacht を使う必要性があったためで、意味的に厳密な現在完了を表すわけではありません。
Und seine Zweige rauschten Als riefen sie mir zu:
すると私に呼び掛けてくるかのように小枝がざわめいた。
und 並列接続詞「~と、そして、また」
seine 所有代名詞 sein 「彼の、その」の男性複数1格。
Zweige der Zweig「小枝」の複数1格。
rauschten rauschen「ざわめく、ざわざわ〈さらさら〉鳴る」の3人称複数過去形。
als 接続詞「~であるかのように」。「~する時」を意味する場合もありますが、動詞がすぐ後に来るのは、als ob(「~であるかのように」)の ob が省略されてる場合に限られます。
riefen...zu 分離動詞 zurufen「呼び掛ける」の過去形3人称複数。
Komm her zu mir, Geselle 私のところへおいでよ、若者よ
komm her 分離動詞 herkommen「(こちらへ)来る」の命令形。
mir 人称代名詞 ich「私」の3格。
Geselle 若者
Hier find'st du deine Ruh ここで君は安らぎを見いだせるよ、と hier ここ
find'st = findest finden「見つける、見いだす」の2人称単数現在形。
du 「君」
deine 所有代名詞 dein 「君の」の単数4格。
Ruh = Ruhe 「安らぎ」。 この段の2行目の zu: と脚韻を踏むために語末の e が省略されています。
この段の後半2行は呼びかけの内容を表しています。
Die kalten Winde bliesen Mir grad ins Angesicht
冷たい風が私の顔にもろに吹き付けた
kalten kalt「冷たい」の男性複数1格(弱変化)。
Winde der Wind「風」の複数1格。
bliesen blasen「吹く」の3人称複数過去形。
grad = gerade まっすぐに
ins = 前置詞 in と定冠詞 das の融合形。「~の中へ」
das Angesicht 顔。通常は ins Gesicht 「顔に」と言いますが、この詩では雅語である Angesicht が採用されています。
Der Hut flog mir vom Kopfe 帽子が頭から飛んで行った
der Hut 帽子。Hut はドイツ語文学においてステータスシンボル、権力の象徴として使用されます。このためここでは、冷たい世間の風によって何らかの権力の座から追われたことを比ゆ的に表現していると解釈できます。
flog fliegen「飛ぶ」の3人称単数過去形。
vom = 前置詞 von と定冠詞 dem(3格)の融合形。「~から(離れて)」
Kopfe der Kopf「頭」の3格。-e は古風な語尾。
Ich wendete mich nicht 私は振り返らなかった wendete mich sich wenden「~の方へ向かう、~の方を向く」
nicht 否定の助詞「ない」
Nun bin ich manche Stunde Entfernt von jenem Ort
いま私はかの場所から何時間も離れたところにいる
nun 今
bin sein「ある、いる」の1人称単数現在形。
manche 不定代名詞 manch「いくつか、あれこれの」の女性単数4格。
die Stunde 時間
entfernt 離れた
jenem 指示代名詞 jener「その、あの」の男性単数3格。
der Ort 場所
Und immer hör ich's rauschen そしていつもあのざわめきが聞こえる
hör = höre hören「聞く、聞こえる」の1人称単数現在形。
ich's = ich es。この中性単数の代名詞 es は音を表す非人称動詞 es rauscht の es です。パラフレーズすると ich höre, dass es rauscht になります。hören や sehenなどの知覚動詞は4格の目的語と不定詞を従えて「~が~するのが聞こえる・見える」という意味の構文を形成します。
Du fändest Ruhe dort 君はそこで安らぎを見いだせるのに、と
fändest finden「見つける、見いだす」の2人称単数第二接続法。
dort そこ
安息の地を失った哀愁が漂う詩ですね。
参照記事:ドイツ語 Wikipedia、https://de.wikipedia.org/wiki/Am_Brunnen_vor_dem_Tore
『野ばら(Heidenröslein)』の解説もご覧ください。
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この曲に、燃え上がるように引き寄せられて、ドイツ語に惹かれた初心者です。楽しく読ませていただきました。でも恐れながら、コメントです。
immer fort は今では古語のようですが、immerfort = immer を詩的に表現したもので、fort とか fortziehen の意味ではないという解釈もありますと、というか、全て「受け売り」です!
関心事は、19世紀初頭の近代ドイツで、中世へのロマン郷愁からこのチクルスが生まれ、よく意味も分からない現代の私を引き付けたことでした。