ロバート・メナッセの『Die Hauptstadt(首都)』は2017年度Deutscher Buchpreis(ドイツ図書大賞)受賞作品です。
ロバート・メナッセはオーストリア人なので、この作品にはわずかながらオーストリア独特の言い回しや単語が登場します。
しかし、舞台がヨーロッパの首都とも言えるブリュッセルで、登場人物たちの多くが欧州委員会の官僚だったりするので、英語、フランス語、オランダ語、フラマン語、イタリア語、ギリシャ語、スペイン語、ポーランド語、チェコ語、ハンガリー語などのフレーズが登場します。
場合によってはドイツ語に翻訳されていたり、説明されていたりしますが、そういうのがない場合もあります。多言語環境でコミュニケーションが難しいということだけ分かればいい場面なので、翻訳・説明がなくても支障はないです。
さて、ストーリーですが、ブリュッセルのある時期を切り取ったモザイク状のエピソードの集合体とでもいうものです。主人公がいません。重要な登場人物は幾人かいますが、最後まで他の重要登場人物とかかわりを持たないキャラクターが半分くらいいて、残りの半分は欧州委員会の官僚たちです。
「In Brüssel laufen die Fäden zusammen – und ein Schwein durch die Straßen.(ブリュッセルでは(物事の)糸が集まる。そして一匹のブタ🐖が通りを駆け抜ける)」
という前書きで始まるこの作品は、むちゃくちゃでユーモアに富む一方、暴露本的な鋭利な風刺も豊富で、ヨーロッパの歴史、アウシュビッツとヨーロッパ統合プロジェクトの関連性、そしてヨーロッパの未来について読者にもう一度考えさせるパワーを持っています。
また、重要登場人物の一人(David de Vriend)が残り少ないアウシュビッツの生き残りの一人で、最後にたまたま老人ホームからメトロに乗って出かけ、帰りのメトロを待っているところで「Da detonierte die Bombe(そこで爆弾が爆発した)」と突然人生の終わりを迎えてしまいます。このため、欧州委員会創設(1967年ブリュッセル条約)50周年記念祭プロジェクト(Big Jubilee Project)でヨーロッパの理念の根底に「アウシュビッツを繰り返さない!」があると考え、アウシュビッツの生き証人を招こうとしていたコミュニケーション部局長Fenia XenopoulouのメンバーらがDavid de Vriendという人物を特定したものの、実際に連絡を取ることはできなくなってしまいました。
このように登場人物たちはニアミスすることはあっても本当に関連性があるかというと実はあまりないのです。
重要登場人物たちの何人かはSainte-Catherineに突如現れ、Rue du Vieux Marché aux Grainsを突っ切り、Hotel Atlasのそばを通ってどこかへ消えて行ったブタ🐖に遭遇しています。ちょうどその時Hotel Atlasでは人が殺され、殺人者Mateusz Oswieckiの行動が描写されます。捜査に乗り出したEmile Brunfaut警部がMateusz Oswieckiを捕まえることなどなく、なぜかブタの目撃証言を集めてしまい、その後事件は外部圧力によってなかったことにされ、事件に関するデータや書類はすべて抹消されてしまいます。この🐖は後にまたSNSやメディアで話題になりますが、結局最後まで捕獲されることなく、正体不明のまま目撃されなくなってしまいます。
この正体不明の一匹のブタとは関係はないのですが、欧州のブタ生産者と中国との取引も話題にされます。中国のブタ需要は大量で、欧州連合全体で中国と交渉すれば有利な条件が引き出せるはずだとする陣営と、欧州各国の個別の利益を優先し、中国と個別交渉を始める陣営の対立が浮き彫りにされます。そして、欧州委員会としては欧州内市場における豚の供給過剰を理由に廃業する生産者にプレミアムを支給しているという矛盾・歪みが明らかになります。これはこの作品で明かされる欧州の実態のほんの一例です。
作品の時間軸はブリュッセル条約50周年の2年前、すなわち2015年です。『Die Hauptstadt(首都)』は2015年のブリュッセルの世相断面図と言えるでしょう。そこに一匹の🐖を走らせることで全体的に滑稽な雰囲気になっています。
この作品は、ドイツ語の表現自体はそれほど難解ではないのですが、一部多言語であることや脈絡のなさなどでドイツ語上級者でもややチャレンジングな内容です。
我こそはというドイツ語勇者の方はぜひ挑戦してみてください😀
邦訳は、私が調べた限りではまだないようです。